三重大学から来たけんたろうさんは2012〜2013にバレンシア工科大学の留学生でした。
私はけんたろうさんに初めて会ったのは、ジャパンウィーク2012という2012年11月にバレンシアにあったイベントでした。そこで私はボランティアで、けんたろうさんは三重県のスタンドでバレンシアの子供と大人に折り紙を教えていました。その時私はけんたろうさんをまだ知りませんでしたが、その活動を見て、面白いと思いました。折り紙を習う人はけんたろうさんが教える折り紙の形が素晴らしいと思って、自分ですると綺麗に作れてとても喜んでいました。
ジャパンウィークのあとで、けんたろうさんは私の日本語の授業に来ました。その時けんたろうさんと知り合いました。授業が終わったあと、けんたろうさんはクラスの人たちにも折り紙を教えてくれました。その授業から、けんたろうさんはクラスの人とよく会って、交流会話をしました。クラスの人が日本語を練習するてだではなくて、けんたろうさんもスペイン語を習いました。
そういう風に、人懐っこいけんたろうさんはバレンシアで日本文化の大使にどんどんなっていきました。バレンシアに住んでいる日本人が少ないので、留学生の活動は交流のために大切です。特にけんたろうさんはいつも活躍しているので、模範だと思います。
けんたろうさんは留学しながら日本文化を伝えたり、スペインの習慣に慣れたり、スペイン語を習ったりするのは偉いと思います。みんなと仲良くして、バレンシアに友達がたくさんいます。けんたろうさん、よい帰国を、バレンシアにまたきてください!
martes, 23 de julio de 2013
lunes, 22 de julio de 2013
アイスランド
友達と初めてアリカンテの空港へ行きました。
私の友達は4人でした。
まずレイキアビクへ行きました。
次に車でかいがん道路「どうろ」をドライブしました。
この島は道路が1せんだけあります。
旅行中めずらしい景色「けしき」を見ました。
山や川や湖「みずうみ」やビーチや温泉「おんせん」を見ました。
りゅうひょうとかんけつせんが美しかったです。
私はとてもびくりしました。
アイスランドは面白くて、素晴らしくて、きれいな島です。
太巻き祭り寿司「ふとまきまつりすし」
千葉県には有名な太巻き祭り寿司「ふとまきまつりすし」があります。
私は千葉県に行ったことがありませんが、私の珍しい「めずらしい」料理は千葉の太巻きの祭り寿司です。
11月にジャパンウイーク2012で千葉の太巻き祭り寿司作りにさんかしました。
もちろん日本人女性です。みんなは若くなかったです。
私はジャパンウイークでボランテイアでした。
バレンシアの市場「いちば」で太巻きを作りました。
寿司飯「すしめし」のために大きい桶{おけ}がありました。
作りかたはとても面白かったです。
太巻きはきれいな花と動物「どうぶつ」見たいな方らになりました。
とても美味しかったです。
御馳走様でした!「ごちそうさまでした!」
もっと写真を見たかったら、
このブログを見て下さい:
と
domingo, 21 de julio de 2013
ケンタロと私
ケンタロと始めて会ったとき日本にいました。
ミゲという友達が三重大学で勉強をしました。彼は大学のヴァンデルフォーゲルのクラブのメンマーでした。
私は山に登ることが好きですからミゲとクラブのメンバーと一緒に山に登る予定を立てました。
その日に三重に行って、ミゲとクラブのメンバーと会いました。その時にケンタロにも会いました。彼はヴァンデルフォーゲルのメンバーではありませんでしたが、スペインに来ることについて考えていたので、ミゲと友達になって、私たちと一緒に山に来ました。山の名前はしゃくじょうがたけです。
私は日本語があまり話せませんでした。ケンタロもスペイン語がまだできませんでした。私たちは少しずつ日本語と英語で話しました。面白い日でした。登りながら、日本とかスペインとか、大学について話しました。
そのひ、山登りが終わった後で、古い町に行きました。ケンタロにこの町についていろいろなことを教えられたから、うれしかったです。
いい思い出です!
ミゲという友達が三重大学で勉強をしました。彼は大学のヴァンデルフォーゲルのクラブのメンマーでした。
私は山に登ることが好きですからミゲとクラブのメンバーと一緒に山に登る予定を立てました。
その日に三重に行って、ミゲとクラブのメンバーと会いました。その時にケンタロにも会いました。彼はヴァンデルフォーゲルのメンバーではありませんでしたが、スペインに来ることについて考えていたので、ミゲと友達になって、私たちと一緒に山に来ました。山の名前はしゃくじょうがたけです。
私は日本語があまり話せませんでした。ケンタロもスペイン語がまだできませんでした。私たちは少しずつ日本語と英語で話しました。面白い日でした。登りながら、日本とかスペインとか、大学について話しました。
そのひ、山登りが終わった後で、古い町に行きました。ケンタロにこの町についていろいろなことを教えられたから、うれしかったです。
いい思い出です!
ガウディー・アントニ
ガウディー・アントニはスペインで一番有名な建築家です。
ガウディーは本当に個性的なスタイルの建物を作りました。その建物は自然界からインスピレーションを受けていましたので、誰もがその建物は美しいと思います。
最も人気がある建物はLA SAGRADA FAMILIAと呼ばれています。毎年200万人の人が見に行きます。高くて、広くて、きれいで、ガウディーの一番印象な建物ですか、他の建物も有名です。例えば、たくさんの人がグエル公園やバテュロの家にも来ます。
彼の人生の最後の数年の間に、有名な尊敬されていた人でした。それでもうれしくなかったです。それは友達も家族も死んでしまったからです。子供いませんでした。本当に孤独を感じていました。それで、毎日ガウディーは安い古着を着たら、教会にいのりに行って、サグラダファミリアに働きに通っていました。
ある日、教会に行く中でトラムにひかれて、意識不明になりました。まずしい人のように見えましたから、けいかんが来てこじきの人の病院に連れて行くまで誰もガウディーを助けませんでした。
次の日、彼がガウディーと分かりましたが、上体は大変悪かったですから、もう助かることができませんでした。
ガウディー・アントニは1926年6月12日に亡くなりましたが、サグラダファミリアはまだ立てられていて、彼の建物は人々に感銘を与えます。
ガウディーは本当に個性的なスタイルの建物を作りました。その建物は自然界からインスピレーションを受けていましたので、誰もがその建物は美しいと思います。
最も人気がある建物はLA SAGRADA FAMILIAと呼ばれています。毎年200万人の人が見に行きます。高くて、広くて、きれいで、ガウディーの一番印象な建物ですか、他の建物も有名です。例えば、たくさんの人がグエル公園やバテュロの家にも来ます。
彼の人生の最後の数年の間に、有名な尊敬されていた人でした。それでもうれしくなかったです。それは友達も家族も死んでしまったからです。子供いませんでした。本当に孤独を感じていました。それで、毎日ガウディーは安い古着を着たら、教会にいのりに行って、サグラダファミリアに働きに通っていました。
ある日、教会に行く中でトラムにひかれて、意識不明になりました。まずしい人のように見えましたから、けいかんが来てこじきの人の病院に連れて行くまで誰もガウディーを助けませんでした。
次の日、彼がガウディーと分かりましたが、上体は大変悪かったですから、もう助かることができませんでした。
ガウディー・アントニは1926年6月12日に亡くなりましたが、サグラダファミリアはまだ立てられていて、彼の建物は人々に感銘を与えます。
viernes, 19 de julio de 2013
秋の色
ある日、東京から逃げたかったので、山の方へ行くことにしました。静かな所へ行きたかったのです。季節は秋でした。
電車に乗って東京から離れた所まで行きました。電車を降りて山の道を探して、道を歩きました。紅葉の季節でした。私は今までそのような黄色とか赤い葉を見たこがなくて、、おどろきました。買ったばかりカメラで、いっぱい写真を撮りました。帰って、写真をコンピューターにダウンロードして、写真を見たら、思ったよりすばらしい写真ができたと思いました。
日本の秋は美しい季節だと思います。だから、私はいつも楽しみます。そして、友達がバレンシアから来た時、友達も秋の色を楽しめるように一緒に青森県へ旅行をしました。東京はまだその時、秋が始まっていなかったけど、北の方なら、もう始まっているだろうと思いました。その美しさに友達も驚きました。
電車に乗って東京から離れた所まで行きました。電車を降りて山の道を探して、道を歩きました。紅葉の季節でした。私は今までそのような黄色とか赤い葉を見たこがなくて、、おどろきました。買ったばかりカメラで、いっぱい写真を撮りました。帰って、写真をコンピューターにダウンロードして、写真を見たら、思ったよりすばらしい写真ができたと思いました。
日本の秋は美しい季節だと思います。だから、私はいつも楽しみます。そして、友達がバレンシアから来た時、友達も秋の色を楽しめるように一緒に青森県へ旅行をしました。東京はまだその時、秋が始まっていなかったけど、北の方なら、もう始まっているだろうと思いました。その美しさに友達も驚きました。
青森県にある橋。紅葉の季節 |
jueves, 18 de julio de 2013
ニュース: ポーランドから来たバレンシア工科大学の新しい大学院生
今月、ポーランドから来た留学生はバレンシア工科大学(UPV)のコンピュータサイエンス大学院で三カ月の研究を始めました。
大学院生のミハールはポーランドでコンピュータサイエンスの学位を得て、2012年にドイツのアーヘン工科大学(RWTH Aachen)の大学院に入りました。そこで、音声認識についての研究を始めました。
アーヘン工科大学のコンピュータサイエンス大学院は世界中で有名です。バレンシア工科大学の大学院はそれより小さくて、地味ですが、いい研究者がいて、アーヘン工科大学と交流が盛んです。それで、ミハールさんはバレンシアで留学することにしたそうです。
ミハールさんもバレンシア工科大学の大学院生もこの共同研究の新しい機会を楽しみにしているそうです。ミハールさんは、バレンシア工科大学の皆さんに暖かく迎えられて、この留学の研究を一所懸命頑張ると言っていました。
Suscribirse a:
Entradas (Atom)